上を向いて歩こう~スキヤキ

夏の終わりに~スキヤキ

8月は過去を偲ぶ月

8月6日8時15分 広島原爆投下 8月9日11時2分

長崎原爆投下 8月12日 日航機御巣鷹山墜落 8月15日

終戦

偶然なのだろうか?

そう書いたことがあります。

良ければこちらのページをご覧ください

https://murataben.com/o-bon-holidays/

 

1985年8月12日、

日航機御巣鷹山墜落

 

この事故で亡くなった方の中にに坂本九がいます。

 

私の世代ではポピュラーすぎる曲「上を向いて歩こう」

 

でもこの曲がビルボードホット100のナンバーワンに輝いたときの

実感はいまだにありません。

 

なぜなら「スキヤキ」と言うタイトルと

ビルボード・ホット100がポピュラーではなかったからです。

 

「スキヤキ」と言うタイトルで世界的に知られることになった

「上を向いて歩こう」。

 

それは1963年6月15日、6月22日、6月29日、

3週連続のナンバーワンソングに輝いたのです

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なぜタイトルがスキヤキなのか!?

 

なぜ、この曲がナンバーワンになったのか。

それは偶然がもたらした出来事だったのかもしれませんし、

このタイトルだったからかもしれません。

 

当時、イギリスのバイ・レコードの社長となったルイ・ベンジャミンが

仕事で来日している時にこの曲を耳にします。

 

これを会社のシャズマン、ケニー・ポールに録音させようとレコードを

イギリスに持ち帰ります。

 

作曲・中村八大、作詞・永六輔「上を向いて歩こう」

それだけの魅力がこの曲にあったのは間違いありません。

 

ルイ・ベンジャミンの好きな日本料理「スキヤキ」をタイトルとして

イギリスのトップ10に入ります。

 

ケニー・ポールの演奏がそれなりに注目をされれば

オリジナルを聞きたくなるのは人情でしょうか。

 

こうして、アメリカでは坂本九のオリジナルを流す

ワシントン州のパスコにあるKORD局のDJが出てきました。

 

こうして「上を向いて歩こう」は

後にも先にも日本人として最初で最後のナンバーワンソングとなったのです。

 

全米のヒットチャートを意識したアーチスト達

 

全米ヒットチャートをへの進出を試みた

アーチストはその後もいました。

 

ピンクレディは79年に「キッス・イン・ザ・ダーク」で37位、

YMOは80年に「コンピューターゲームズ」で60位、

81年、横倉ユタカ「ラブ・ライト」81位、

90年、松田聖子とダニー・ウォル・バーグ「ザ・ライト・コンビネーション」54位。

 

みなさん、かなり頑張ったのですが、

ナンバーワンソングは生まれていません。

 

おそらくこれからもナンバーワンソングは生まれない、

と言うのが私の予想です。

いい意味でこの予想を覆してほしいものです。

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